恋に落ちて。




「ねぇフレデリック、僕、好きな子がいるんだ」

そんな事を言ったら、普段表情筋を仏頂面に固めたまま動かさない彼が、これ以上にないほど表情を歪ませた。歪ませた。という表現がこの上ないほどぴったりだった。それくらい彼の表情は奇妙だった。間抜けだった。
火を点けようとした煙草がカフェテラスの床に落ちた。勿体ない。
しかし今の彼にはそんな事、些細な事だったのだろう。むしろ煙草を落とした事にも気づいていないのかもしれない。

彼は何度か発音しようと口を動かしていたが、それのいずれも音にならなかった。
何を思ったのか、彼の表情が、「苦笑」(彼のそれは慣れていない相手にとって凶悪という印象を与え兼ねない)と呼べるようなものに落ち着いて、漸く音になった。

「ハァ?」

たっぷりの間を開けて、漸く出たのはやたら大げさな問い返し。

「だから」
「いい、待て」

律儀に問いに答えようとすると、彼は眉間を押さえて、声と動作で返答を止めた。

無駄な問いだと思ったのだろう。
何故なら僕の言葉は本当にそれだけの意味で、それ以上でも以下でもない。だから彼の問いは、無駄なのだ。問い掛けるとしたらこうだ。

「何処の別嬪がてめえを射止めたって?」

フレデリック流だとこうなる。

「贔屓目なく最高の美人だよ」
「研究にしか興味ねぇてめぇのいう美人の定義が分からん」

思考が正常に戻ってきたのか、彼は取り落とした煙草を拾い上げた。

「君も気に入ると思うよ」
「てめぇの相手を取る気はねぇ」

拾い上げた煙草を弄びながら、彼は言った。

「で?俺にどうして欲しいんだ?」

正常な思考に戻った彼は、その先を考える。
僕が今彼に願えば、何か手伝ってくれるかのような寛容さだった。

「もし、それで僕が君とアリアを裏切るとしたら、君達は許してくれるかい?」

彼は訝しげに眉を寄せた。
質問の真意を探っているようだ。

フレデリックは新しい煙草を取り出して、慣れた動きで火を点けた。
先程言葉を詰まらせていたのとは、全く違う。
紫煙を吐き出しながら、彼はもっとも相応しい回答を弾き出している。

「内容による」

簡潔にそれだけ答えた。
漠然とした回答ではない。
彼が考えられる全ての仮定から、その確率を出した結果だ。

「だがてめぇは、俺とアリアが許そうが許すまいが、変えるつもりはねぇんだろう?」

そしてもうひとつ出していた回答。

「だったら何を迷う?」

彼の回答は、僕が予測していた回答の5%くらい上増しで、僕の気持ちを上向かせてくれた。

「・・・ありがとう」
「ふん」

謝礼など下らないと言わんばかりに、彼はそっぽを向いて灰を落とす。

「戻るよ」

傍らに置いた資料を持ち上げる。

フレデリックは煙草が終わるまで来ない。だから必然と僕の方が早く退席する形になる。
それはいつものことで、当たり前の日常。
それを冷たいと言うほど、フレデリックの人付き合いは深くない。
それで傷ついていると思う程、フレデリックとの付き合いは短くない。
いままで呼び止められたことなどほとんどない。
その時だって話題が話題だったから、呼び止められるとは思っていなかった。
彼は、呼び止めたつもりはなかったのかもしれないが。

「アリアなら」

僕が肩越しに振り向いたのも、本当に気まぐれだった。

「多分、許すんだろうな」

それがどんなに仮定を凌駕した結末でも。
彼女はその予想を通り越した反応で、許してくれるのだろうか。

「そっか」

それは、きっと彼がいうのだから、間違いないのだろう。

この先に、どんなことがあったとして。
その先が、あまりに見えない未来だとして。





「ねぇ、フレデリック、覚えているかい?」

脈略もなく問いかけて、彼は一体いつのことだか分からないだろう。
それを知っての問いかけだった。
押さえきれない殺気を押さえて、彼は僕の言葉に耳を傾ける。
何故なら彼は、僕が何故こんな凶行に及んだのか、出来ることなら知りたいからだ。

「好きな子が出来たんだ」

彼は思い出してくれるだろうか。
あのカフェテリアでの会話を。

「どうしても、その子に会いたかった」
「いきなり何言って…」

目の前の金糸に指を通せば、思った以上に滑らかだと思った。
伸びた前髪を描き分けてやれば、隠れがちな顔がよく見える。
玉座に、彼は意識のない身体を悠々と預からせている。抵抗されるのは困るのでその腕は拘束しているが、鎖や拘束具は似つかわしくない。どうせなら綺麗なものがいいと、植物の蔦で、彼の皮膚を傷つけないように手甲の上から、拘束している。咲いている花は彼に合うように白くて清楚に花弁を付けている。

「こんな未来で、希望だったんだ」

昔、夢を、よく見た。
いつからか、それは連続した夢だと知った。
いつからか、それは遠いようで近い、未来の夢だと知った。
夢を重ねる度に、その意味を知り、夢を重ねる度に、その真意を知る。
なんて悪夢だと思わなかったこともない。

夢は多くの戦場を見せた。
こんな世界いらないと思った。
こんな未来が来るなら、早くこの世界とお別れしたいと思った。
夢を見るその意味など、最初は考えたこともなかった。

その夢の真意を考えるようになった時、何かの啓示だと考えるようになった時、それでもそれを成すのが自分でなければならないことへの、疑問と不条理に、やはりその夢を黙殺していた時期があった。

「やっと、会えたね」

転換点は、それも夢だった。
やはり戦場だった。
それは、既に戦いが終わった後のようだった。
全てが終わり、朝が来ようと空が白み始めていた。
そんな空を一人、そう、一人の生存者が、仰いでいた。

それは、まだ身体の出来上がっていない子供だった。
白い衣服は、埃と血泥にまみれていた。それは髪も同じだった。
こんな所に子供がいるなんて、なんて不憫なことだろうと、他人事としてしか考えていなかった。

「言ったろう?君も気に入ると」

何かに呼ばれたのか、彼はこちらに振り返った。

目が覚めるような気持だった。

あまりにその瞳が、湖畔のように朝日を受けて煌めいていたから。
どれだけ埃に、血泥に、戦禍に汚されていたとしても、その瞳は生気を失わず、希望を失わず、穢れることなく煌めいた。
冴えわたるかのようなエメラルドグリーン。

綺麗だと、心から思った。

それから夢の内容をつなぎ合わせた。
夢の、未来の、彼の生きる世界を、知りたいと思ったから。
だから知ったのだ。
いずれフレデリックが、彼に会う未来が来ることも。
その未来にどうしたらたどり着けるのかも。
いつ君に出会えるのかも。
それで彼らを裏切ることも…。

「嬉しいよ、君も彼の事を気に入ってくれて…」
「…おい」

今は瞼の奥に隠れているその瞳が見られないことがじれったくて、瞼の上からキスをした。
心待ちにしていた瞬間だった。
戦場に立った君を見た時、止まりかけていた感情が跳ね上がった。
こんな未来を選ばざるを得なかった僕にとって、彼が何よりも救いだった。

「カイ、愛しているよ、100年も前から君の事…」

意識を失っている彼には届かない。
それでも伝えずには、言葉にせずには、いられなかった。
こんなにも愛おしい彼が、やっと腕を伸ばせば触れられるところまで来たのだから。

頬に触れれば、血の通った滑らかな肌が、確かに体温を伝える。

「…言ったろうが」

殺気が膨れ上がって明らかな熱気となる。

「内容によるってな!」

ちりちりと熱気で喉が痛む。

「…覚えていてくれたんだ」

あの日の会話を。

「宣戦布告の、つもりだったんだけど」
「は、知るかよ」

 それは君から彼を奪う日のこと。




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 アンソロを買いそびれた結果もやもやして出来上がったお話。
 玉座に綺麗な植物で腕を拘束されて気絶している連王に口づけるあのさんっていうイメージ。
 もしくは鳥かごのような寝台に寝かしつけてゆるりゆるりと監禁するあのさん。
 傷がつこうものなら跡も残らないほどきれいに治す。ハナビラ浮かせたお風呂にも入れちゃう。
  悪趣味だと言われんばかりのことをさらっとやってのける。
 タイミングとしてはある程度彼のなすべきことが終わってからという心遣いのタイミングで。
 しかし許してもらえるはずもなく!(主に悪男さんに)