A is U



  「おはよう、フレデリック!!」
施設に似合わない若い女の声がする。
俺は喫煙スペースの壁から背を少し浮かせ、また沈めた。
「モーニングコーヒーとは思えないわね、貴方また寝てないでしょ」
つかつかと近寄ってくる、彼女はアリア。
俺と同じ"チーム"で、同じ大学、同じ研究室の出身だ。
アリアは俺よりも学年がひとつ上で、ココへ来たのは半年ほど早い。
そのせいか彼女は俺を年下扱いしたがり、自分を先輩として敬えという。
まったくもって意味がわからん。
「…うるせぇな」
「あー!同じチームとは言え、私は貴方よりセンパイなんですからね!」
ぼそりと呟いた言葉もよく聞こえるようで、目と同じで耳もくるくる動いてるんじゃなかろうか。
歩調を早め俺の傍まで来ると、指先を俺に向けた。
「まぁ、いいわ。なんだか貴重なものを見れたような気がするし」
ふふっ、と宿舎から持ってきた資料で口元を隠し、俺の隣にぽすんと凭れかかる。
俺は舌打ちをひとつし、紙コップのコーヒーを灰皿に置くと、白衣のポケットから数年変わらない相棒を取りだし口にくわえた。
火をつけようとする、その手に視線を感じる。
「…ンだよ」
「うーうん」
「にやにやすんな気色悪ぃ」
「うふふふふ」
赤い前髪の奥の目が細まり、あぁコイツはこんな風にも笑うのかと思った。
「だって、フレデリックがびっくりしてるところ初めて見たんだもん」
「驚いてなんかねぇよ」
「あら、瞳孔が120%も開いていたのに驚いてないって言うの?」
「お前はいつから俺の白目にスケールを入れたんだ」
「私には見えるのよ」
うふふ、とまた笑ってアリアは首に手を伸ばした。
昨日まではそこに確かにあった、髪を確かめるように。
「やぁ、やぁ、そこに居るのはフレデリックとフロイラインじゃないかい?」
能天気な少年のような声がした。
俺は今度は背を動かすこともせず、目だけを向けた。
俺たちがいるところから3mほどのところで足を止めた白髪に白衣を着た白っぽい男が、ファイルとマグカップを片手に立っていた。
「おはようございます、チーフ!」
アリアは猫のような俊敏さで、姿勢を正すと挨拶を返した。
「やぁやぁ、いい朝だね、フロイライン。フレデリック?」
「…ハヨーゴザイマス」
煙草のフィルターを苦虫の代わりに噛みつぶす。
俺たちのチームの主任であるヤツは趣味だという聴診器を首から下げ、ださい博物館土産の原子番号表がプリントされたマグカップを掲げた。
「おや?おやおやおやぁ?」
素っ頓狂な声を上げると、ヤツはその顔をアリアに近づける。
ぐっと覗き込むような姿勢に、赤くなったアリアの喉から小さな悲鳴があがった。
ヤツは恐ろしく視力が悪い、日常生活に影響があるんだから髪を切るかメガネをすればいいものを、
「大切なデータはその子たちが話しかけてくれるし、キラキラしているからすぐにわかるのさ」
とイカレた返答をしてへらへらと笑っていた。
「ううん?あぁ、なるほど。髪を切ったんだねぇ、アリアくん」
「え、えぇ。昨日、思い立ったので…」
「うんうん、いいと思うよぉ。ボクやフレデリックはこれ以上切れないけれど、君はそれが出来る。軽くなった分、頭の回転もより速くなりそうじゃないか、素晴らしいねぇ」
前髪も後ろ髪も括れるほど長いヤツの髪は十分切れると思った。
巻き込まれる形になった俺は、仕方なく短くなった煙草を灰皿へ押し付けると、次の1本をくわえた。
ヤツが言う「フロイライン」はアリアのあだ名だ。
俺たちの研究は女性の研究者が少なく、大学の頃からアリアは何かにつけ目立っていた。
小柄な体躯、紅茶色の髪は腰に届くほど長く、ラベルを貼り換えるように毎日異なるリボンを髪につけていたことを思い出す。
男だらけの中で決して楽ともいえない研究生活。
きっかけはからかい半分だったのだろう、「お嬢さん」などというあだ名は。
大学卒業後も現在の研究所に勤めているやつは多い。
その結果、アリアのある意味不名誉なあだ名は周知のこととなり、今なお使われているということだ。
まぁ、ヤツに限ってはそういった嘲りのつもりで使っているのではなく、ただ本当に二つ名程度にしか思っていないのだろう。
もしかしたら洗礼名とでも思っているのかもしれない。
「おぉっといけない」
「あっ、チーフ、どちらへ?」
すぐそこまで、と言ってヤツは喫煙スペースから離れると廊下を歩いて行く。
リノリウムの床は幽霊のように白いヤツの足音を全部吸収していた。
「10時からミーティングですから!忘れず戻ってきてくださいね!!」
「だいじょーぶだいじょうぶー」
その声は鼻歌に混じり、ヤツの白衣と一緒に遠ざかっていった。
「…はぁ、びっくりした」
ふーと息を吐くと、手を頬にあてる。
「そうだな、瞳孔反射レベルじゃなく声が出てたぞ」
「だって!しょうがないじゃない、あんなに近くでチーフの顔を見るなんて思ってなかったんだもの」
「あんなヤツがいいなんてお前、相当変わってるよな」
「あら」
心外だと言わんばかりに腕を組むと、すっかり髪を短くしたアリアは俺の顔を覗き込んだ。
「それって貴方も含まれるのわかってる?フレデリック」
わざと煙を顔にふきつけると、やだ!と悲鳴を上げて目を閉じた顔の前でばたばたと手を振った。
「もう、何するのよ!」
「それより、白衣ぐらい着ろよ。来たまんまだろ」
灰皿に煙草を押し付け、すっかり冷えて不味くなったコーヒーを煽る。
アリアは思いだしたように黒いシャツ姿の自分を見下ろした。
「そうね。あ、フレデリックも忘れないでね、10時からのミーティング!今日のサーバーはブルーベリーパイよ」
「へーへー」
クソ甘ったるい味が想像するだけに広がる。
だが、それはアリアの好物のひとつであり、朝イチでお気に入りのベーカリーで入手してきたに違いない。
もしかしたら予約すらしていたかもしれない。
壁から背をはがすと同時に腕を伸ばすと肩の骨が鳴った。
「あ、どこ行くのよ?」
ラボと逆の方へ体を向けた俺にアリアの声がかかる。
「うっせ、徹夜明けだ。仮眠してくる」
「もう!絶対10時のミーティングには出てよ!チームのミーティングなんだから!」
「へーへーわかってるよー。じゃ、おやすみー」
背後で、もう!という声がして、ぱたぱたと駆けていく足音がした。

チームのミーティング。
ヤツをはじめとする俺たちのチームは、チームとは言え、各々が別箇の研究をしている。
大まかな研究の括りとしてチームという名称が存在しているに過ぎない。
だが、アリアはそれだからこそ情報の共有が大切なのだと訴えた。
俺は全く理解できないが、ヤツはそれをオモシロイと思ったらしい。
「ミー ティングをする意味?あぁ、フロイラインの発想か。オモシロイね、彼女は。ねぇ、フレデリック。君は理解しているだろう?ボクと君は、他の研究者とは違 う。勿論、その辺にいる人間ともね。そんなことはずっと小さい頃、それこそ九九を覚えるよりも先に理解したはずだよ。どうして、ボクの考えていることは理 解されないのか?否、何故彼らはこんな簡単な回答にたどり着けないのか?まるで迷路の中をぐるぐるするのを楽しんでるようじゃないか。あぁ、もちろんそう いった試行錯誤も十分興味深いし、いい暇つぶしになる。ボクの言うことをママは理解できなかった。友達はもちろん。先生も、ドクターさえ!ボクにはディス カッションのなど無意味だったよ、だって出来る相手がいないのだからね。しかし、ディスカッションの効果は素晴らしい。じゃぁどうするか?簡単だよ、ボク の内側にたくさんのボクをつくって…彼らとディスカスすればいいのさ。重要なのはいろんなボクをつくること。たとえば、理論的なやつ、常識に縛られるや つ、とりあえず否定するやつ…、そいつらと議論すればボクの思考はどんどん洗練されていく。フレデリック、君もそうだろう?…ここで、彼女の話に戻そう。 なぜ、ミーティングをするのか?それには、なぜチームを作ったのか?をまず話す必要があるだろう。これは、つまり特別なボクとそれ以外が必要だからだよ。 ボクの思考を理解しなくていい、ボクの真意など知らなくていい。ただ、ボクの頭は同時にいくつものタスクを処理できるが…残念ながら身体はひとつで、同時 に複数の実験をすることはできないんだ。つまり、彼女は、彼らはボクの手駒なんだよ。いや、もっと的確に言うとすれば、ハタラキアリなのさ。足しげくボク の為に寝る間を惜しんでデータを集め、その珠玉の輝きをボクに差し出す…あんな慈しむべき存在をボクは知らないよ!あぁ、フレデリック、君なら解るだろ う!これがつまり、ボクがミーティングを開く意味なのさ!!」
ボガンッと嫌な金属の音がして、俺の左腕がヤツの部屋のロッカーに沈んだ。
心底冷え切った俺の目にも、ヤツはへらへらと笑い、腕を広げて言った。
「さぁ、今日も美しい数字を集めようじゃないか!!」
お決まりの、朝の挨拶を。
イカレてやがる。
白い幽霊のようなあの男はイカレている。
天才と呼ばれ、その頭脳欲しさに戦争が起こるとすら言われた未曾有の男。
その内側はまるで幼稚園のガキそのものだ。
どうなるか見たかったという好奇心だけで蟻の巣に水を流し込むような、ガキの下らない発想。
ただ、何よりも胸糞悪かったのは、俺の内側にも何人もの俺が居て、そいつらがこの客観的な判断を下しているという事実だった。

「フレデリック!」
声がする、紅茶の匂いと、どこからか甘ったるいバターとカスタードの匂いも。
「フレデリック!もう!ミーティングだって言ったのに!いつまで寝てるのよ、起きて!時間よ!美しい数字は貴方を待ってはくれないのよ!フレデリーーック!」
「…うっせぇ」
声の出どころに向けて掌を伸ばす。
丁度良くそこにアリアの顔があり、ぶっ!とブサイクな声がした。
「あー目覚め最悪」
「何よそれ!せっかく来てあげたのに!もう、このでかい手をどけなさい!」
「へーへー」
離すついでに頭を押さえつけたら、さらさらとした感触が糸のように軽く流れた。
白衣を着たアリアからは紅茶とケーキの匂いがする。
ふぁ、と欠伸ついでに伸びをして、寝床代わりの椅子から起き上がった。
「そういえばチーフにもコメント貰ったのに、私まだ貴方から評価をもらってないわ、フレデリック」
リノリウムの床をのそのそ歩く俺の横をちょこちょこと早足のアリアがついてくる。
「あ?他の奴は、なんて」
「どうして切ったのかの理由を問うのが8割。似合うが7割、もったいないが2割、切った髪が欲しいが1割」
「よーし、その1割のヤツ誰だ言え」
「や、よ。結局私が間に入るのが目に見えてるもの。ねぇ、そんなことよりフレデリック。私、貴方のコメントと評価を知りたいわ」
くんっと、俺の白衣の右ポケットの横を器用にアリアは引っ張る。
「短い髪の私はどう?」
首を傾げると、切り揃えられた髪がやっと肩についた。
「ちなみに私は人生においてAマイナス以下をとったことはないわ」
「へぇ。まぁ、いいんじゃねぇの…ようやく学生気分も抜けて来たってもんだろ」
「わ!私、フレデリックが褒めるところ初めて見た!すごい、ショートヘアって私のラッキーアイテムかもしれない!!」
「うっせぇ!…つーわけで、評価は期待値を込めてAだな」
ぐしゃりと髪を肘で押さえつけた、その肘にアリアがやめてという言葉と逆に笑いながら言う。
「見てて、私必ずAプラス、ううん、プラスプラスをとってみせるわよ」
「俺の評価は厳しいぞ」
空中にマイナス線を引く。
それに縦線を加え、アリアは自分のイニシャルを空中に大きく描いた。
「とって見せるわ、フレデリック」
「おーおー期待してるぜ」
お前のイニシャルは赤いマジックで、その右上に書きこめるだけの空白を空けて。
俺たちはミーティング時間ジャストに研究室の扉を開いた。








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誕生日プレゼントとしてhizuにゃんよりいただきましたーー!!!
何かツイッターでひたすらこうでこうでこうなのよ!っていう話をしてて
その時見せたGG2設定資料集の三人のイラストから考えて下さった話です。
その横に長文の会話があるということは伝えてなかったので後程発覚して
アップしないでと言われましたが強行させて頂きました(許可はちゃんととってます!!)
研究者時代の話はなかなか読めないのですっごい嬉しい!!
しかもわずかな情報からここまで話を膨らませてくれてもうすごいな!につきます!!
hizuにゃんありがとう!!四月にちゃんとお返しします!!